抜歯
元旦からニャコさんが偉業を成し遂げました。
自分で歯を抜く、という偉業を...。
「歯がぐらぐらするがよー」と去年の十二月くらいからずっと言っていたのですが、確認したところでぐらぐらしているだけなので母は完全無視を続けておりました。
明らかに「これはイケる!」という場合にしか母は出動しません。
「全然抜ける状態じゃない」
と、言い聞かせておりました。
ニャコさんは、歯を抜くことに関して言えば母に全幅の信頼を寄せているのです。あたしをそんなに信頼しないで!とこちらが逃げ出したくなるほどの過度の信頼を。
何故でしょう。それは初めて彼女の歯が抜けた日の数年前に遡ります。
その日、母は仕事でした。休みだったお父さんとニャコさん。
ああ疲れたぜ、と仕事から帰ってくると、ドスドスとすごい勢いでニャコさんが玄関までお出迎え。
「おかーさーん!うあーーん」
苦笑いのお父さんが訳してくれたところによると...。
昼寝をしないニャコさんに愛想を尽かせて、というか横になった瞬間から眠れるのび太体質のお父さんは爆睡していた、と。ふと、泣き声で目を覚ますと、口から血を流しているニャコさんが傍らにおったそうな。ビビる父と子。
よく見ると、綺麗に生え揃っていたニャコさんの歯が一本なかったという。そして、下から「やっ!」と永久歯がちらりと顔をのぞかせていたのです。
ああ、乳歯が抜ける時期がやってきたのだな、と。そんな時期を考えたこともなかったお父さんと母は、その乳歯がぐらついていたことにも気づかず(おそらくニャコさんも気づいてなかったであろう)、当時三人でビビった次第でありました。
ニャコさん的には理解不能で後ろ暗い出来事だと思い部屋の片隅でお父さんに背中を向けて泣いていたようです。今思い出しても気の毒過ぎる...。寝てる場合かっ!
そこから怒濤のように歯がぐらつき始めたのです。
で、二本目の歯がぐらつき始めた時、明らかにぷらっぷらと本当にほぼ抜けていますよ、という状態にまでなった時。それでも流石にニャコさんは怖くて抜くことを躊躇していたのです(よくある面白いホームビデオのように)。
「じゃあ自分でもうちょっと動かしてみいや」
と、悪い顔で母はニャコさんにぷらついている歯をつまむように言いました。そして、ニャコさんがつまんだ瞬間、その肘を「ていっ」とはたきました。
から~ん...と勢いよく歯が飛んでいきました。........めでたしめでたし。
全然痛くもなく(だってほとんど抜けていたのだし)、血も出なくて(だってだって抜けてたよ、ほぼ)、ニャコさんは感激したようで、それから歯を抜くことに関しては母を尊敬の眼差しで見てくるようになったのです(あのやり方で?)。
複雑な気持ちの母。何故なら、基本的にはそんな面倒なことは全部お父さんにやってもらいたい。お父さん子になってもらったら母はとても楽。なのに、こんなことに...。
それからしばらく母は彼女の歯を抜く羽目になったのです。
「おとーさんは最初の時、ぐーぐー寝よった」
と、今でも恨み節のニャコさんはもう二度とお父さんに歯を触らせることはなかったのです.....。
で、紆余曲折を経て(お好み焼きを食べていたら抜けた、とか)今年の元旦を迎えたのです。
もうその頃には母の面倒臭がりと、抜けそうで抜けない苛立ちがピークを迎えていたニャコさんのフィーリング(おかーさんはもう何もしてくれない)が合致していたのです。
ニャコさんが遠く一点を見つめて立ったままずっと歯を動かしている姿をぼんやりと母は眺めておりました。その孤高の背中はまるで静かに敵を待ち構えるファイターのよう(小1だけど)。
どれほどの時間が経ったでしょう。半分飽きていた母がテレビに夢中になっていた頃合いにニャコさんが厳かに言いました。
「...取れた」
「!」
何だろう、この職人感は......。
よくテレビでやってるオモシロ動画みたいなので歯に糸をつけてドアノブにくくりつけてワーワー言ってる(伏兵の弟がおもちゃの刀でその糸を切る的な)やつとは一線を画したこの静かな抜歯はなんじゃらほい。
静かにティッシュを噛むニャコさん。そして静かに歯を見せるニャコさん。しみじみと見る母。ガーガー寝ているお父さん(また寝てる!)。
でもここからがお父さんの出番です。
「オラ~!!起きろ~!!外に行くぞ~!!」
と、番長ばりにお父さんを叩き起こしてニャコさんは外に歯を投げに出ていきました。
庭からはまじないの声が朗々と響いてきておりました。
そんなわけでニャコさんは一つ勉強になったことでしょう。
『誰も当てには出来ぬ、信じるのは己だけ』
.....歯が抜けるって奥深いですね。
その数日後には、またぐらついていた歯を一人で抜いたニャコさんでした。
どうなんですかね、これって普通ですかね、先生。
書いていてちょっと不安になった母です....。